この「芸術について」という章で明らかにされるのは、ヨーロッパの普遍的な言語になったフランス語が、どのように自らの資質をルイ14世紀下において、完璧にまで高めたかということである。
フランス語がそのような普遍的な地位を占めるためには、ラテン語を凌がなくてはならないが、まず冒頭で紹介されるのは、法律家たちがラテン語では立派な文章がかけても、フランス語ではそれが不可能であるという現実である(p.62.)。
しかし、フランス語の格調高さ、耳への心地よさが、説教という雄弁術(ジャン・ド・ラジャンド)や散文(バルザック)にも見受けられるようになる。そしてフランス語の純化に大きな役割を果たしたものとして、アカデミー・フランセーズ、ヴォージュラの名が挙げられる(p.64.) 。ラ・ロシュフーコーの『箴言集』も、その表現、考えを圧縮した「簡素かつ微妙」な表現という点で引かれている。そしてフランス語の形を決めた作品として、ヴォルテールはパスカルのLettres provincialesを挙げる。またボシュエについても『世界史論』を挙げ、評価するのは、もっぱら、その文体、「雄渾な筆致」、「簡潔で真に迫る表現」である(p.68.)。またこの時代においては、古代にはなかった形式が生まれる。それがフェヌロンの『テレマック』、ラ・ブリュイエールのLes caractèresである。後者において、ヴォルテールは「緻密で、簡潔で、力強い文体、絵画的な表現、斬新で、しかも文法的な規則に背かぬ文章」と述べている(p.71.)。
続いて、ヴォルテールは国民文学の概念に言及する。国民の文学は、「まず詩が天才の手で生まれ、これに導かれて雄弁が現れ」るとする(p.73.)。そしてフランスの場合散文の技量を進歩させた作家としてコルネイユがひかれる。
ヴォルテールは次にラシーヌを引くが、このラシーヌ観こそ、17世紀におけるフランス語の完成という主張の代表であると思われる。ラシーヌはヴォルテールにとって「言葉の自然な美しさを、いわば完璧の域に到達させた」(p.76.)作家である。
ルイ14世の時代の最後に出た作家として挙げられているのがラ・モット・ウダールとジャン=バティスト・ルソーで、後者についてはマロを引き合いにだしているが、マロの文体を「無様な」ものとし、それに対して現代は「純粋な言葉」であるとする。
ヴォルテールは、「時代と、主題と、国民性にふさわしい美」(p.83)は限定されており、一人の作家がそれを表現しえたなら、あとの時代は何も表現することがなくなると述べ、まさにこの時代が、芸術の完成された時代であると位置づける。
そして最後に、いささか唐突に、「フランス語はヨーロッパ語になった」と述べる。ルイ14世紀の偉大な作家たちの後継者が、フランスから外へ出ることによって、フランス人持ち前の社交性を生かし、他国民にフランス語を広めたのである。