カール・ヤスパースの『戦争の罪を問う(責罪論)』は、ドイツの敗戦間もない45年から46年にかけて行われた講義をもとにして、刊行された小著である。この時期と平行してニュルベルク裁判が行われている。この裁判は、ヤスパースいわく「戦勝国が裁判所を構成している」という意味で「世界史上まったく新たな」裁判である(p.78.)。
ヤスパースは、敗戦国ドイツの中でこの裁判を「侮辱」と受け取る風潮があることを認識した上で、この裁判に積極的な評価を表明している。裁判は「刑事裁判」であり、それはとりもなおさず、特定の個人を罰するのであり、集団的に民族を弾劾するわけではないからである。またドイツにふりそそぐ災厄は「当然の報い」なのでもない(p.73.)。この裁判では戦争が「正義と真理」のもとで、罪として裁けるかが課題であり、法が実現され、その法を敗戦国もふくめて、世界が承認できるかどうかの可能性がこの裁判にかかっているとする。この点こそヤスパースが信をかけて裁判を評価する理由である。ただその最も大きな価値は、実は「指導者たちの特定の犯罪の間に区別を立てて、決して集団的に民族を断罪するのではない」という点にある。後述するように、ここにはヤスパースの中に「指導者たち」と「私たち」の峻別があることがうかがえる。
ニュルンベルク裁判での罪は「刑法上の罪」であるが、ヤスパースはこの「罪の問題」の議論が感情的なものではなく、認識と思考に訴えるものとして、思考の対象として捉えられるものになるように、「罪」を分類する。
「刑法上の罪」の次のカテゴリーが「政治上の罪」である。すべての国民が刑法上の対象となって裁判を受けるわけではない。刑事責任はあくまでも個人を処罰の対象とする。それにたいして政治上の罪は、「国家の行為から生ずる結果に対してすべての公民が責任を負うこと」になる(p.50.)。この場合審判者は戦勝国であり(p.65.)、政治的に問われる責任とは、具体的に言うならば「戦勝国に対してわれわれの労働と給付能力とをもって責めを負い、敗戦国に課せられた通りの償い」(p.122.)をすることである。そしてヤスパースは「政治上の罪がヒットラーの刑事犯罪と同列のものではない」(p.141.)と強調している。
三つ目は「道徳上の罪」である。これは内心における罪の意識であり、審判者は「自己の良心」(p.49.)である。それは他者との関わりにおいて、自分の振る舞いにおける無関心、「怠慢、安易な順応」(p.52.)に対する責めである。四つ目は「形而上的な罪」である。
この罪の区別の主眼は、罪と「民族全体」との関係にある。たとえば刑事上の罪は、個人が負うものであり、「民族」が負うものではない。また道徳上の罪も個人が負うものであり、「民族」が負うことはそもそもが不合理である。
民族というくくり方に対する反論の根拠は、個人というものを民族へと還元して、あるいはあらゆる「類」(若者、年寄り、男、女)に還元して考えること、つまり類を実体とみなすことの不合理さにある。ヤスパースの議論では、罪は「民族」が背負うものではなく、「集団を有罪と断言」(p.64.)することは不可能であり、ドイツ国民が背負うのはあくまでも敗戦国の国民としてであって、民族としての存在そのものが弾劾されることは、むしろナチスの民族大虐殺と同じ考え方に立つものでありおおよそ受け入れられないとする。ヤスパースはこの弾劾の声を「お前らは民族として劣等、下劣であり、犯罪性をもち、人間の屑で、他のすべての民族とは別種のものだぞ」という表現に集約させる。確かにこのような、個人を集団に従属させる考え方は、ヤスパースの言うように「非人間的な行き方」(p.76.)であろう。
だが、ナチスそのものがドイツ民族国家のなかで生まれてきたことはどう解きうるのか。ナチスのような民族主義と全体主義が結びついたイデオロギーは、世界のどこであっても、そしていつの時代であっても<生まれうる>ことと、20世紀前半のドイツで<生まれた>という歴史的特殊性は区別して考えなくてはならないのではないか。
その意味で、ヤスパースの議論のなかで腑に落ちないのは、ナチスとナチスに加担した「彼ら」と、自らの妻がユダヤ系であったために公職を追われ苦難に道を歩まざるをえなかったヤスパース、そしてヤスパースと同じような境遇に貶められた人々の「私たち」とのあまりにもはっきりとした峻別である。刑事的な罪は確かに個人が負う。その意味で、ナチスの「犯罪」は、あくまでも「個人」が負う。しかしその「個人」と、私たち他者とは政治的な罪以外何の共通性もないのだろうか。
たとえば次のような辛辣な文章がある。
かれら(ヒットラーとその共犯者たち)は悔悟したり生まれ変わったりする能力がないらしい。かれらは要するにあれだけの人間なのだ。そういう人間はみずからも暴力によってのみ生きるのだから、かれらに対しては暴力を用いる以外に道がない。(p.97.)
ここでのヤスパースの言い回しは、自らが感情ではなく認識を、と説いた慎重な姿勢からははるかに遠い荒々しい憤懣に満ちている。彼らには道徳上の罪という意識がない、道徳の限界を超えてしまっているとヤスパースは言う。しかし彼の振る舞いは本当に少数の例外的な犯罪者の特殊な振る舞いなのだろうか。 またヤスパースは戦争の残虐行為、ユダヤ人の排斥は、「ドイツ人独特の残虐行為である」という弾劾を受けて、次のように言う。
他の諸国にあると認められる罪、ないしは他の諸国自身が自己の罪と認める罪は、すべて、ヒットラー・ドイツがおかしたたぐいの刑事犯罪たる罪ではなかった。かれらの罪は当時、事態を黙認して中途半端の態度をとったことであり、すなわち政治的な過誤であった。(p.150.)
ここでもヤスパースは、我々だけに(民族という単位としての我々)に罪があることを断固として否定し、罪が民族、ここでは人種に還元されることに反論する。
確かにヤスパースの民族と個人に対する考え方は正しい。私たちは集団に解消されえないことが、私たちを人間たらしめる存在の根源なのだ。しかしヤスパースが「われわれが劣等人種なのではない。どこでも人間は同じような属性をもっている。機会があれば政権を握って残忍なふるまいをする暴力的、犯罪的で、野蛮な才能をもつ少数者はどこにでもいるのだ」(p.154.)というとき、その少数者から「われわれ」は除外されていないだろうか。除外されているならば、その除外されうる根拠は何なのか。とくにヤスパースが民族に回収されない人間としての個の尊厳を解く時、この普遍性の希望を抱くとき、ともに普遍的な人間存在でありながら、どのようにして少数の犯罪者と、私たちが峻別されるのか。
ヤスパースは言う。「私はまず人間である。私は特殊的に見ればフリースラント人であり、大学教授であり、ドイツ人であり、他の集団と深い繋がりを、また深い浅いの差はあるにしても、私と接触するに至ったあらゆる団体との繋がりを持っている」(p.125.)。私は人間であるからこそ様々な属性を持っている多層的な存在である。だからこそ、関係の深さは異なっても、その多層性において、私たちは他者と繋がりうる。しかしその「私」を形成する多様な層のどこかに「ナチス性」はないのだろうか。その他の集団、すなわち、隣人にナチスはいないのだろうか。私が人間であり、人間だからこそ多層であり、だからこそ普遍的に他者とつながりうるとするならば、ナチスも「我が隣人」なはずである。その意味において「ナチス」と「私」による「私たち」において、罪について再考する必要があるのではないか。さらにこの「私たち」を措定したところに生まれてくる、「彼ら」すなわち、「被害者」についての関係性を問いつめていかなくてはならないのではないか。