権力とディスクール。フーコーは「収監誓願承認文書」を渉猟しながら、本来ならば語られることのなかった個人の生が文書として残されることで、その言説から個人の生への権力の浸透を明らかにする。流麗な文体と巧みに選択された形容詞を用いながら、「ディスクール、権力、日常の生、そして真理の諸関係」(p.333)が、17世紀から18世紀にかけて新たな様態で結び合われたことを明らかにしてゆく。
ここで語られる対象は、語られるに足る偉大さー「血統、財産、聖性、英雄性、あるいは才能」(p.319)ーをもった人間ではない。まったく逆で、世に埋もれて忘れ去られていった無名の人間たちである。その人間たちは憎悪、暴力、姦淫、犯罪など「恥辱塗れ」になった人間たちである。ところがそうした本来ならば歴史にのぼらず、消されてゆくばかりであった人間たちの生が、権力に一瞬触れたことで、すなわち、「告発、苦情、嘆願」(p.319)の対象として権力に訴えられたがために、光を帯びることになったのである。
ここにはひとつの矛盾がある。まわりからのけ者にされ、権力に訴えられた人間たちは、彼らの罪状のゆえに「人間の記憶に銘記されるには値しないもの」とされる。彼らの生は卑小な生である。しかしその値しないという判定が、たとえわずかな語であっても、言明されていることによって存在してしまうのである。
これらのディスクールの特徴とは何か。訴えられる人間たちは、暴力をふるう夫、正体不明の女星占い師、好色な極道息子など、「卑小な生」の持ち主たちである。しかしこうしたささいな生が、権力のディスクールによって、荘重な文体で、いかにも異例な事件であるかのように書き立てられ、日常的な生が「演劇性」を帯びることになる。「語られていることとその語り方の不調和」(p.331.)が特徴である。
フーコーにとってこうした人間の醜聞はとるにたらぬ卑小さであるが、この卑小なる過ち、過誤、欲望などをめぐる罪深の言明が17世紀末に変わったのだとフーコーは指摘する。その変化とは宗教的配置から行政的配置への変化である(p.326.)。告解という、すべての罪を微細に至るまで告白し、その告白によって同時にあらゆる罪を消し去ってゆく、キリスト教的権力。この微細な日常は、行政組織において今度は文書としてすべて記載され集積されることになる。
そのための道具である「王の命令書」。しばしば「専制君主の絶対権力のあり様を喚起する」この命令書の性質は、実は「公的なサーヴィスの結果」なのだとフーコーは言う。すなわち、王の怒りの行使ではなく、ごく日常的な諍いのために、下々の人間たちが王にわざわざ懇願して、書をしたためてくれることを願った結果なのである。この実体をフーコーは次のように言う。「あらゆる者たちが絶対権力の巨大さを、各自固有の目的において他の者たちに対して自分用に使うことが出来た」。こうして権力は《欲望》の対象となり、政治空間は家族空間にまで浸透してゆく。個人的な品行(親族や子供同士の不和、家族の軋轢、暴飲や姦淫、喧嘩)などがすべて言説化され、権力によって捉えられてゆくことになるのだ(p.329.)。
だが王権に直接結びついたこれら日常のささいな生、ろくでなしや貧しき者たちの生という不調和は、やがて「司法、警察、医学、精神科学」といった多様な制度のなかに引き取られてゆく。それによってディスクールが持っていた演劇性は消え去ってゆくとフーコーは指摘する。
さらにフーコーは封印状のディスクールの到来に語りの変容を見いだす。これまでにディスクールの対象となってきたものは、ありえないもの、fabuleuxなものである。「英雄性や武勲、思いがけない冒険、神意の顕現や恩寵、あるいは異例の大罪」(p.333.)といったものである。これこそが物語として、教訓や説得性を持ちながら語られてきたのだ。
だが、17世紀西洋は次第に日常的な生を語り出す。ありそうにないものではなく、いままで「可視化できぬかされてはならないとされた来たものを可視化する」(p.334)ことが始まったのである。そしてこの《恥辱の生》こそが、文学の「内在的倫理」を構築していったのである。文学の始まりの場所、それをフーコーは「秘められた生のもっとも共通する様相を語らねばならぬという義務」であると言う。
古典主義の自然らしさと模倣→fabuleux(寓話性)/伝奇なるもの→小説/フィクション=日常的なるものについてのディスクール(隠匿された秘密の暴きだし)
文学が語る対象はそれゆえ、「秘匿されたもの、呵責なきもの、もっとも恥ずべきもの」である。
こうしてフーコーは言説の変容を、権力と日常の生の関係のもとに描きだし、文学という制度の発生が、まずもってその関係を照らし出すディスクールの次元に求められることを明らかにしたのである。