Cyrulnik, Boris

 「憎むのでもなく、許すのでもなく」。この邦題は、5歳のときにナチスに逮捕されたが、逃亡に成功し、その後、精神科医となったボリス・シリュルニクが自らの人生から引き出した教訓である。と同時に、単なる体験談、人生の知恵というだけではなく、その自らの体験を対象化、すなわち、現在の自分が距離をもって捉え返し、精神科医としての学問的知見から、導きだされた省察でもある。私の体験と、省察が折り重ねられて綴られたのがこの作品であり、それが大きな魅力になっている。

「憎むのでもなく、許すのでもない」ならば、選択肢は何か。ナチズムや人種差別について、シリュルニクは言う。

私にとっての選択肢は、罰するか、許すかではなく、ほんの少し自由になるために理解するか、隷属に幸福を見いだすために服従するかである。(p.320)

 ボルドーに生まれ、フランス人の意識しかなかった自分が「ユダヤ人」というレッテルを貼られ、ナチスに逮捕の対象となり、また戦後も「ユダヤ人」というレッテルだけで差別される。だが「ユダヤ人」とは「現実から切り離された表象」(p.319)である。隷属とは、この表象に隷属して、思考を拒否することである。共同体とは、この表象を分かち合う人々の集団と言ってもよい。そして私たちの世の中は、「答えのない疑問がいきなり現れると、(...)単純な考えが答えになる」(p.91.)。

 それに対して理解とは、私たちの知的な努力である。事態を理解することで、その事態に対する見方を変えていく態度である。憎むとは、思考の停止に等しい。なぜなら、シリュルニクが言うように、「憎むのは、過去の囚人であり続けること」だからだ。

 過去にとらわれるとは、そこで思考が停止し、その一点に固まってしまうことを意味する。しかし、生きるためには、私たちは、この過去を練り直していく必要がある。過去から離れることはできない。しかし生きる時間の中で、過去を意味付けなおし、過去から現在へと一貫性のある物語を構築しなくてはならない。そこに生きる確証が見いだされてくる。

人生を物語にするのは、一連の出来事をすべて語るのではなく、自分に起きたことの表象の中で、自分の思い出を整理して体系化することだ。(p.93.)
 
自分の心を見つめると、イメージや言葉の表象ができあがり、心の中の映画館には、記憶されたいくつかのシナリオが浮かび上がる。自分の物語を自己に語る、そうした心の中の映画は、自身のアイデンティティを構築するのに役立つ。(p.100.)

 生とは、ひとつの流れであり、その都度その都度生まれるものではないだろうか。人生を歩む分だけ、私たちは新たに自分の物語を語り直す。こうしてたえず、生を生むことが生きることになるのではないか。だから体系化とは、不動の建物を立てることではない。思い出の破片を集めて、つなぎあわせることで、映画のように流れるストーリーを作ることと等しい。

 ここで大切なことは、物語は虚構ではないという点だ。人の記憶には誤認がつきまとう。特にシリュルニクのように子どものときの記憶を遡らなくてはならばい場合は、なおさらである。その記憶には多くの欠落がつきまとうし、自らが生きるために、物語に、実際とはことなる整合性をたずさえた意味を与えたりもする。すなわち物語全体は事実ではない。それは事実の表象である。しかしだからといって、それを虚偽として捨て去っては決してならない。

「表象」という言葉は実に的確である。思い出は、現実をよみがえらせたものではない。思い出は、われわれの心の中の劇場において、真実から表象をつくるために、真実の断片を寄せ集めたものなのだ。心の中で上映される映画は、われわれの物語や人間関係の帰結である。われわれは幸福であるとき、自分たちが感じる幸せに一貫性を与えるために、真実の断片を記憶の中から探し出し、それらを組み立てる。そして不幸なときも、自分たちの苦しみに一貫性を与える真実の断片を探し出す。(p.137.)

 ここで注意したいのは、シリュルニクが「真実の断片」と言っている点である。表象は現実とは異なる。しかし表象の源泉には、断片に過ぎなくとも「真実」があるのだ。私たちが証言を聞くとき、取らねばならない態度がこれではないだろうか。私たちが受け取る話は現実ではなく表象である。しかしだからといって、それは歴史的事実とは異なるとして否認できるだろうか。いいやできはしない。なぜならば、その表象としての物語には、体験者が心に刻んだ真実の欠片が散りばめられているからである。だから私たちはその表象の源泉まで降りていかなくてはならないのだ。

 聞く者にこの姿勢がないとき、体験者は沈黙へと陥る。シリュルニクの語りは、『一九四四年一月に私が逮捕された時点から出発して、「パポンが断罪された」』(p.321)ところで終わる。つまり20世紀も終わりに近づいてからである。社会に、今まで隠されてきたドイツ占領下のフランスの実態が明るみになったときに初めて、シリュルニクも語り始めるのである。この問題が封印されていた80年代までは、沈黙があるだけであり、体験は「心の中の礼拝堂」(p.187.)だけで語られていたのである。

 ではその間、例えば終戦直後の社会では何が語られていたのか。

共同体の物語では、ド・ゴール将軍やルクレール将軍、共産主義者のレジスタンス、さらには隠れて抵抗した一般庶民の功績が褒めたたえられた。(...)[映画『静かな父』では、臆病者や街のごろつきさえも、フランス人全員がナチス・ドイツに抵抗したことになっている。(p.172.)

 もちろん抵抗した人々も数多くいただろう。それは事実である。しかし問題なのは、この物語は、他の解釈の余地のない、すなわち書き換えることなどない、疑うことを許さない不変の真理として、提示されている点である。このとき、物語は神話となり、もはや再構成されることはない。この時物語はその動的生命を失い、プロパガンダの手段に堕する。嘘なのはこちらだ。

 物語は、過去と思い出の関係だけなく、語り手と聞き手との間でも変化するきわめて生成的なものである。

 それに対して、トラウマ的体験は、動かず固定されたイメージ、しかも自己のコントロールが効かず、不意に、そして何度も、時間的変容を一切被らず、人を支配する体験である。

記憶が健全であれば、明確な自己の表象によって、行動計画をスムーズに立てられる。しかし、大きな不幸に見舞われて心が引き裂かれると、習慣的な思考パターンではこの予期せぬ問題を解決できない。新たな解決策をみつける必要があるのだ。ところが、悲痛な想いがあまりにも強烈で、心がぼろぼろになり、打ちのめされた状態にあるとき、われわれは精神的苦しみによって感覚が麻痺し、呆然とした状態に陥ってしまう。(p.54)
 
トラウマ的体験は過去の記憶に残る要素を適合させることがもはやできないほど、未知の異物として、人を圧倒する。そして「お決まりの文脈に落とし込まれ」(p.308)、固定され動かなくなる。それがトラウマの苦しみ、生の枯竭ではないだろうか。
 
トラウマをともなう記憶は、絶えず繰り返す、固定された不変の思い出である。それは、物語の停止であり、死んだ記憶だ。(p.310)。

 では、私たちはトラウマから逃れることはできないのだろうか。そんなことはない。トラウマ的記憶が物語的記憶へと変化する、そのきっかけを作ってくれるのは、その体験者のことを覚えていてくれる他人の存在である。

 ところが、過去の試練についての思い出を分かち合うことができれば、記憶はよみがえる。そのとき、恐ろしい現実の表象に一貫性を施した修正に、われわれは驚愕することになる。思い出は進化するのだ。語る環境が整うと、物事がそれまでと違って見えるのである。(p.300.)

 だが、そのためにはときに長い時間を必要とする。シリュルニクを引き取ってくれた叔母ドラと、打ち解けて過去の話ができたのは、ドラが90歳を過ぎてからである。

 言語化する能力、それはまわりの人の愛情によって育まれるとシリュルニクは言う。résilience=へこたれない精神は、自分の努力でない、実は他者の愛情によって、人間が身につける、生きるための精神なのだ。