The Whoのディスコグラフィーをみていて驚くのは、このWho's Nextがわずか5作目だということだ。わずか5作にして、ビートバンドからはるかに遠い地点にまで到達してしまった。25、26歳の若者たちがすでにブリティッシュ・ロックの金字塔を打ち立ててしまった。
ロジャー・ダルトリーの一本調子の「がなり唱法」は正直苦手で、ピート・タウンゼントのソロ・アルバムの方にむしろ情感がわくのだが、このアルバムに限っては、アルバムのトータル性という点で、ほとんど気にならない。ヴォーカルも曲のうねりの中に見事に調和している。ピートの素晴らしいギター奏法、キースのドラムワークの独創性(一人ドラムの天才を選べと言われれば間違いなく彼を選ぶであろう)、そして控えめながらも曲を下支えするジョンのベース、どのメンバーが入れ替わっても、もはやこのような作品は不可能であると言えるほど、4人のパフォーマンスがしっかりと結ばれている。
だから、どの曲も展開が頻繁で、ドラマチックであっても、決して大げさにはならない。ハードロックの頂点にたつレッド・ツェッペリンの音楽の美学がその形式性にあるのにたいして、The Whoの音楽は、4人の力量が渾然一体となったところからうまれてくる圧倒的な力のようなものにその魅力がある。だから、ツェッペリンのライブでは、ソロの聞かせどころがあり、それが時に冗長な感じが否めないのにたいして、The Whoにはそういったソロが際立つということがない。いかに素敵なパフォーマーたちであろうと、実は他のメンバーとの緊密な関係の上に成り立っているのだ。それがThe Whoという「バンド」の「バンド」たるゆえんだ。
アルバムはシンセサイザーの人工音ではじまる。それが空間をゆったりとめぐる。そこにピアノ、そしてキースのドラムが重ねられる。この余裕をもった展開の中、ロジャーの正統的なヴォーカルが始まる。この始まりだけをとってみても、音の絡まりのスリリングさが伝わってくる。2曲目でほほえましいのは、クラップ音だ。こうした小細工も実はThe Whoの魅力だったりする。そしてA面の最後の曲The song is overには、小尾隆さんが指摘しているように、Pure and easy(Odds and Sods収録)からのフレーズが織り込まれている。これはピート・タウンゼントのファーストWho came firstの一曲目にもそのデモバージョンが収められている。実に美しい曲だ。
めまぐるしい展開があっても、それが緊張感を保って曲として成立しているのは、「余裕」があるからである。それは「風格」といってもいいだろう。ロックが若者の好むやかましい音楽ではなく、楽曲としても成熟し、作品として十分聞かれ続けるにたる、そんな大人のロックが、The Whoによって始まった。それがイギリスの1971年だ。