長らく廃盤状態が続いていた『銀色の朝(シルヴァー・モーニング)』がようやく最近になって再発された。名盤との評価を受けてきたアルバムだが、実際に聴いてみると、それまでのフォーク、ソフト・ロックから、ストリングスをいかし、ワールドミュージックのテイストをもったAORへの過渡期にあるアルバムという印象で、アルバムとしての散漫さ、アレンジの過剰さをどうしても感じてしまった。それに対してこのLike a seedは1、2枚目にあった青さは多少影をひそめ、落ち着いたトータル感を大切にしたアルバムだと思う(「Comin'down」を除いては)。いろんなことを試してみようとしてなんだか力がはいっている『銀色の朝』よりも、こちらのほうがアルバムとしては完成度が高いと言えるのではないか。アレンジもあくまでひかえめであり、ケニー・ランキンの歌声が堪能できる。
決して老けているわけではない。それでも初期のフォークの雰囲気からすれば、老成したといおうか、力ではなく、技術で聴かせるヴォーカルになっているように思える。たとえばSometimesやStringmanのような、ソフトな曲でも、たんにAOR風のムードを漂わせるだけではない。メロディはけっこう暗めで、内省的でさえある。またカリプソ風の楽器のアレンジも、むしろメランコリックな音をきかせている。この2曲に続くEarthheartはさらに憂いを帯びた曲だ。初期エルトン・ジョンのもっていた内省的なメランコリー感に通じるものがある。
そしてケニー・ランキンの声の美しさの極致であるYou are my woman. Be my woman foreverとささやくその声はずっとこちらの心に響いてゆく。ラストのIf I should go to prayは、けっして大げさな曲でもない。それでもケニー・ランキンの最後のハミングが永遠に聴いていたいと思うほど美しく、荘厳さまで感じる曲だ。
どのアルバムも決して悪くはない。それぞれジャズやボサノバなどテイストは異なるが、このヴォーカルは変わらない。それでも全曲を自分自身で手がけたからではないが、Like a Seedは、ランキンの音楽にたいする資質がバランス感覚という点でもっともよく表現されたアルバムではないだろうか。