懐かしい親しさがするアルバムだ。といってもどこかで聞いたことがある音楽という意味とは少し違う。確かにこの音源を初めて聞いたとき、真っ先にトレーシー・ソーンの『遠い渚』を思い出した。でもそんな過去の音楽を引き合いに出さなくても、何かどこか、懐かしく、そして親しい。
それはどこからくるのだろう。この音楽を聞いていると、曲になるまでの雰囲気が何となく伝わってくる。まずはアーティストに対する親しさ。ふと曲の一節が浮かんできて、それを口ずさんだとき、もう少し歌ってみたい、声を伸ばしてみたいという感覚。楽器に触れたら音が鳴って、それをもう少し鳴らし続けてみたいという感覚。そんな素直な衝動が伝わってくる。
そして印象的なリフレイン。シンガー・ソングライターの特質でもある、少ないコードを繰り返しながら、歌のメロディを乗せていく手法は、簡素ではあるが、私たちにとって何かなじみ深い印象を与える。
たとえば「おちた生活」は、まるで眠りにおちる直前に聞こえてくる子守唄のように、美しい声の音色を聞かせるだけだ。でもそれが懐かしい感覚を呼び覚ます。
歌詞は、同じメロディに、短いことばが置かれて、ことば同士が強く結びあわされる。
丸い空気 愛でていて
広い両手 あなた (あなた)
そして深いエコーがかけられた声が美しい。特に短い単語の母音を伸ばす歌い方は、日本語の母音の持つ、まろやかさをうまく使っている。
何よりも優しい 何よりも柔らか
声 肌 髪 (おいで)
最後の三文字の母音、「エ」、「ア」、「イ」の音がとても印象的だ。あなたの声や肌や髪の優しさや柔らかさの親しい感触を、母音がもたらす優しい柔らかい音色で私たちも体感する。
この母音の音色は、このアルバムのおぼろげで、少し憂いがあって、ドリーミィでもある空気を作るのに実に効果的である。
優雅 眠れば 消えてしまいそう
→ ゆぅうが ねむれば きえぇてしまいそう
確か なぞれば すぐに止む
→ たぁあしか なぞれば すぐにやぁあむ
目を閉じれば ついこぼれて
→ めぇえを とぉじぃれぇばぁ つぅい こぼぉれて
波寄せるまで そっと待つ
→ なぁみ よせぇるまで そうっと まぁつ (スリープ)
文字に起こすとちょっと変だが、このたゆたうような歌い方が、エコーの深さをとあいまって、私たちを夢幻の境地へといざなってくれる。
アルバムとしての完成度も高いと思うのは、ダウンロード音源の最後の3曲の構成の素晴らしさだ。「スリープ」の出だしのギターの音は少し力強く、多少ロマンティックで、終わりが近づいてきた予感にうたれる。「浜においてきて」は、このアルバムの中では、感情の起伏が大きい曲だ。ただ感情は乱れることなく、音程の起伏へと昇華される。最後の「いつか どうか 何も言えない」の最後で、感情の糸が切れてしまうかのように、高音になり、ふっつりと一瞬、声が消える。そして最後の「モユルイ」は、ギターの音数も少なくなり、メロディは私たちをゆっくり揺らす。
作品全体に靄がかかったような空気は、おぼろげで、あいまいで、親しげで、懐かしい。創作というよりもむしろ一つの記録と言ったほうがよいかもしれない。アーティストの日記のようなものかもしれない。しかし、プライベートな生活空間で生まれた叙情詩は、私たちにとってきわめて親密なノスタルジーの情をもたらしてくれる。