John, Elton

captain_fantastic.jpg 名前は世界的に有名なのに、先入観だけでアルバムをきちんと聞いたことのないアーティストがいる。Elton Johnもその一人だった。初期のアルバムは何枚か聞いたが、70年代中頃からの大規模なコンサートを開いては巨額の富を得るようなイメージの作品はあまり食指が動かなかった。しかしそういった偏見というのは本当に自分の趣味を狭くする。

 Elton Johnの自叙伝というべきCaptain〜は、ロックの奥深さを実感させてくれるすばらしいアルバムだ。良質なエンターテイメントと音楽的水準の高さがそのぎりぎりのバランスのところでつりあった芸術作品である。もう少し派手なところでは、当時のイギリスならばクイーンが体現したアートロックである。またそれはボウイが時代的に体現できなかったアートでもある。そう考えるとクイーンとボウイのデュエットは、時代に乗り遅れたボウイの苦し紛れの一手だったのだろう。クイーンがかわいそうだった・・・。

 さて、このアルバムはそんなイギリスのロックの成熟を思う存分味あわせてくれるアルバムだ。どの曲も軽妙で、ドラマティックで、それぞれの楽器の音が生き生きしていて、ポップで、深みがあって、ほろっとさせてくれてと、申し分ない。そしてどの音がいかにもイギリスなのだ。

 ところでこのアルバムはデラックス・エディションで購入したのだが、そのおまけがきわめて豪華。75年のライブがCD1枚分収められているのだが、なんとアルバムと同じ曲順でそのまま再現しているのだ。このライブが素晴らしい。バンドの緊密な音のアンサンブルが見事だし、ライブの高揚感があるし、We all fall in love sometimesの最後は一緒に合唱しないではいられない! というわけで本当はCD1は余分な4曲のボーナスをつけないでほしかった。Curtainsの荘厳なコーラスで終わってほしかった。20秒の曲間はあるものの、この完結した世界には余分だろう。

tumbleweed_connection.jpg Elton Johnと言えば、「きみの歌はぼくの歌」であり、あまりに優れたラブソングなために、この曲がおさめられた1stアルバムもリリシズム溢れたロマンティックなアルバムだと勘違いしそうになる。実際には冒頭におかれたこの曲をのぞけば、いたって内省的な曲が多いことに気づく。またアルバム裏ジャケットにミュージシャンの写真が並んでいるが、当然ながらElton Johnのアルバムは決してピアノロックではなく、一流のミュージシャンによって固められたセッション性の強いアルバムである。

 もちろんロマンティックという形容詞にふさわしいメロディアスな曲は多いけれど、でもそれだけではアルバムの醍醐味を表現したことにはならない。内省的でありつつ、しかし音楽表現としては技術的にしっかりとバックアップされ、シンガーソングライター的な繊細さとは一線を画した、プロフェッショナルとしての、完成度の高い「音楽作品」。だから単純な主観的印象だけではElton Johnの魅力は語れないように思う。

 メランコリックでありつつ、力強い音作りをきかせる、この情熱と内省の交錯が初期のアルバム群の魅力であると感じる。とくにこの3rdアルバムは、アメリカのルーツ音楽をふんだんに盛り込み、コーラスの迫力や、ゴスペルっぽい曲の盛り上がりなど、かなり骨太である。と、同時にスタジオワークも素晴らしく、個々の演奏力の高さに感服する。

 アルバムの色調は、ジャケットの色合いに似て、決して派手ではない。後年のエンターテイメント性などもない。だが、音楽を制作することの確信が、Elton Johnの声から溢れてくるようだ。

 もちろんLove songのように心象風景がそのまま音に投影されたような、憂いを感じさせる曲も収められていて心に響く。それに続くAmoreenaはピアノの音色を中心にしながらも、曲の盛り上がりにあわせて、ドラムが実に渋くはいってくる。こうしたバランスのよい楽器編成が決して曲がセンチメンタルにならない理由なのだろう。

 意匠はアメリカかも知れないが、Elton Johnの芸術度の高さは、その場の感受性ではなく、一流の計算されたプロの技なのであり、それは最初から一貫した、確固としたElton Johnの世界なのだ。