高野寛は、どのように売り出すか、そのキャッチコピーだけがきわめて表層的に記憶に残っていた。自分とほぼ同じ世代、つまりはYMOフォロワー、高橋幸宏のプッシュといったことや、日本のトッド・ラングレンといった言い回し・・・
でもそれは高野寛がだれに似ているかを言っているだけで、高野寛がいったいどういうミュージシャンであるのか語っていることにはまったくなっていなかった。
ふとしたきっかけで、2004年に出されたこのアルバムを聞いた。ここには高野寛というアーティストが日常を基盤としながらも、決して内省的にはならず、日常に寄り添いながらも、高い意志をもって音楽を作っていこうとするゆるぎない自信が感じられる。一曲目のタイトル「確かな光」は、そんな高野寛の創作意欲の高さを象徴することばじゃないかなと思う。確かな光につつまれて今日も外へでてゆくいさぎよさ。そんな吹っ切れた雰囲気がこのアルバムにあふれているように思う。五曲目「hibiki」の最初の「ラララ」と歌い出す瞬間、そのひかえめな決意を感じる。
もちろんポップセンスあふれた曲、たとえば三曲目「Rip of Green」は颯爽としたせつなさとひとなつかしさにあふれた佳曲だ。四曲目「歓びの歌」はアコースティックギターの音色が美しい、朝のやさしい光と風につつまれた曲。そう、高野の曲にはこの風の感覚がある。
それ以外にも高野寛というミュージシャンのその少しシャイな人柄を感じられる素敵な曲もある。七曲目「声は言葉にならない」は、「あれじゃなくて、それじゃなくて、そうじゃなくて、そんなんじゃなくて」と、高野の声にマッチした軟弱な歌詞がほほえましい。
ああ 響き合う歌が届いたら
この闇を照らす光になるから(「hibiki」)
このアルバムは、またアートワークが素敵だ。表紙の影になった高野寛もいいけど、CD内ジャケ(?)の公園の犬の写真がいい。まさに音楽とジャケが響き合っている。それは高野寛という人とまわりの人間の響き合いでもある。その響き合いからつたわる友情や愛情、それがまたこのアルバムを、愛おしいものにしている。
09年ニューアルバムが出たらしい。いそがずゆっくりレコード屋に行って、購入することにしよう。