どの曲もゆっくりとしたテンポで、一音一音、一言一言を確かめながら、演奏され、歌われる。ビリー・ブラッグのこれまでの活動を知っている人ならば、少なからず驚くに違いない音の雰囲気だ。
ビリー・ブラッグは1983年にデビュー。サッチャー首相の就任が79年、フォークランド紛争が82年である。保守化路線をひたすら進むイギリスにおいて、労働者階級のために歌うーそれがビリー・ブラッグのロックだった。
怒りこそが表現の核であり、歌うべき内容は、社会が貧困や失業という問題をかかえればかかえるほど、無尽蔵に溢れ出す。その抜き差しならぬ状況のなかで、ビリー・ブラッグという人物は単なるミュージシャンではなく、活動家として捉えられる側面を多分に持っていた。革命の旗振り役と言おうか。
彼の歌は、イギリスの日常、好転する兆しはこれっぽっちもないどころか、泥水を飲まされているかのような最低の、屈辱の日々を過ごさざるをえない人々に寄り添っている。揺るぎない信念と意思ゆえのかたくななまでの歌い方。それがビリー・ブラッグのイメージだった。何枚ものレコードを聞いてよいなあと思った。それでも、そこで歌われる世界が、イギリスの薄暗い日常に根ざしていることが、頭ではわかっていても、心は少しばかり常に遠いところにあって入れこめなかった。
こうして久しくビリー・ブラッグを聞かなくなっていたが、数年前にビリー・ブラッグがウィルコとウディ・ガスリーのカバー(というか、彼の遺した歌詞にメロディをつけて歌う)を出していることを知り、久しぶりにアルバムを買った。
そして今回の新譜である。イギリス人であるビリー・ブラッグが、アメリカ人の、それもルーツロックの再評価の立役者であるジョー・ヘンリーをプロデュースに迎え、彼のスタジオでわずか5日間で完成させたとのことである。
もはや怒りにまかせた歌はない。激しく打ち鳴らすリズムもない。朴訥と歌う50も半ばを過ぎたビリー・ブラッグの声は、しゃがれて、味わい深い。ただ、このアルバムが心に響くのは音の手作り感だけではない。その手作りの暖かさを通じて、ビリー・ブラッグが人間の生そのものに寄り添って歌っていると感じるからだ。
確かに30年過ぎても何も変節はない。ただ、イギリスの下層階級の人々の生活の苦しみや喘ぎを代弁することから、このアルバムでは、私たちが等しく経験する、愛、他者への思いやり(Do Unto Others)、明日への希望(Tomorrow's Going To Be A Better Day)、別れ、そして死が素直に歌われているのだ。私たちの生を織りなすいくつものテーマがシンプルなことばで、衒いもなく、悟りを得たかのように歌われる。根底は変わらなくとも、生活から生への広がりが、より彼の歌の世界を普遍的なものとして伝えてくれるのだ。
Goodbye to all my friends, the time has come for me to go
Goodbye to all the souls who sailed with me so long
友人たちよさようなら そろそろ去るときがきた
ぼくと一緒にこんなに長い航海に出てくれた人たちよ さようなら
そう歌いだされるGoodbye, Goodbyeは友人たちに別れをつげる歌だ。「コーヒーポットも冷たくなった ジョークもみんな言い尽くした 最後の石は転がっていった」。人生の長い海路も終わりに近づき、私は友人にグッドバイと言う。
悲しくて優しい歌だ。ゆっくりとしたテンポで、ぬくもりのある弦楽器がかなでるメロディの中、少しだけ苦みのある声でGoodbyeという声が空に響く。落ち着いたベースの音、深みのあるパーカッション、どこまでも繊細なアコースティックギターの音。
人を優しく包みこんでくれるような音の空間作りが素晴らしい。たとえば2曲目。弦楽器の音が幾重にも重なり、ドラムがゆっくりとリズムを聞かせた後に、歌が始まる。こうした丁寧な音の響きがこのアルバムの特色でもある。
とはいえ、ビリー・ブラッグの意思は決してひよってはいない。アルバムタイトル『歯と爪』は、歯と爪だけになっても戦い続けるという意味らしい。いかにもビリー・ブラッグだ。そういえばウッディ・ガスリー作詞の曲も一曲収められている。I Ain't Got No Home, 金持ちに家を取られ、妻は死に、自分は町をさまようしかない。哀歌としての民衆の歌を引き継いでゆく、ビリー・ブラッグのかたくなな意思がこの一曲に込められている。