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may.e, 私生活(2013)

shiseikatsu.jpg 懐かしい親しさがするアルバムだ。といってもどこかで聞いたことがある音楽という意味とは少し違う。確かにこの音源を初めて聞いたとき、真っ先にトレーシー・ソーンの『遠い渚』を思い出した。でもそんな過去の音楽を引き合いに出さなくても、何かどこか、懐かしく、そして親しい。

 それはどこからくるのだろう。この音楽を聞いていると、曲になるまでの雰囲気が何となく伝わってくる。まずはアーティストに対する親しさ。ふと曲の一節が浮かんできて、それを口ずさんだとき、もう少し歌ってみたい、声を伸ばしてみたいという感覚。楽器に触れたら音が鳴って、それをもう少し鳴らし続けてみたいという感覚。そんな素直な衝動が伝わってくる。

 そして印象的なリフレイン。シンガー・ソングライターの特質でもある、少ないコードを繰り返しながら、歌のメロディを乗せていく手法は、簡素ではあるが、私たちにとって何かなじみ深い印象を与える。

 たとえば「おちた生活」は、まるで眠りにおちる直前に聞こえてくる子守唄のように、美しい声の音色を聞かせるだけだ。でもそれが懐かしい感覚を呼び覚ます。

 歌詞は、同じメロディに、短いことばが置かれて、ことば同士が強く結びあわされる。

丸い空気 愛でていて
広い両手 あなた               (あなた)

 そして深いエコーがかけられた声が美しい。特に短い単語の母音を伸ばす歌い方は、日本語の母音の持つ、まろやかさをうまく使っている。

何よりも優しい 何よりも柔らか
声 肌 髪               (おいで)

 最後の三文字の母音、「エ」、「ア」、「イ」の音がとても印象的だ。あなたの声や肌や髪の優しさや柔らかさの親しい感触を、母音がもたらす優しい柔らかい音色で私たちも体感する。

 この母音の音色は、このアルバムのおぼろげで、少し憂いがあって、ドリーミィでもある空気を作るのに実に効果的である。

優雅 眠れば 消えてしまいそう
→ ゆぅうが ねむれば きえぇてしまいそう
確か なぞれば すぐに止む
→ たぁあしか なぞれば すぐにやぁあむ
目を閉じれば ついこぼれて
→ めぇえを とぉじぃれぇばぁ つぅい こぼぉれて
波寄せるまで そっと待つ
→ なぁみ よせぇるまで そうっと まぁつ  (スリープ)

 文字に起こすとちょっと変だが、このたゆたうような歌い方が、エコーの深さをとあいまって、私たちを夢幻の境地へといざなってくれる。

 アルバムとしての完成度も高いと思うのは、ダウンロード音源の最後の3曲の構成の素晴らしさだ。「スリープ」の出だしのギターの音は少し力強く、多少ロマンティックで、終わりが近づいてきた予感にうたれる。「浜においてきて」は、このアルバムの中では、感情の起伏が大きい曲だ。ただ感情は乱れることなく、音程の起伏へと昇華される。最後の「いつか どうか 何も言えない」の最後で、感情の糸が切れてしまうかのように、高音になり、ふっつりと一瞬、声が消える。そして最後の「モユルイ」は、ギターの音数も少なくなり、メロディは私たちをゆっくり揺らす。

 作品全体に靄がかかったような空気は、おぼろげで、あいまいで、親しげで、懐かしい。創作というよりもむしろ一つの記録と言ったほうがよいかもしれない。アーティストの日記のようなものかもしれない。しかし、プライベートな生活空間で生まれた叙情詩は、私たちにとってきわめて親密なノスタルジーの情をもたらしてくれる。

youth.jpg 1曲目のタイトルは「レクイエム」。「人は死んだらここから消えて何処へ行くんだろう」のことばから始まる。ヴォーカル&ギターの吉村秀樹が亡くなって、この作品が生前最後のアルバムになってしまった。

 とはいえ、この1曲目は、歯切れのよいドラムから始まり、その勢いのまま、一気にバンドの音となってゆく。まさに「青春」にふさわしい瑞々しさにあふれた一曲だ。

 2曲目「コリないメンメン」では、リズムギターから始まり、そこにもう1本のギターが重ねられる。電気で増幅されたギターの音のうねりが素晴らしい。途中ブレークも入れられ、パンク魂を感じる一曲。

 3曲目「デストロイヤー」は、吉村秀樹のかき鳴らすギターの音が激しく耳に打ち付けられる。そして、中盤(2分40秒過ぎです)、田淵ひさ子の、彼女にしか出せないような、唸りながらどこまでも増幅するノイズギターの音が空間に充満する。

 4曲目「ディストーション」は、ライブそのままに、ドラムのカウントから始まる。そして終わりも、ひずみまくるギターの余韻が残るなか、再びドラムがカウントをとって、重厚な次曲「サイダー」のイントロへとうつる。観客がウォーと叫びながら、体を揺する姿が目に浮かぶ。

 この「サイダー」は、確かライブで吉村が「よい曲なんだ」と言ってた気がする。愚直なほどストレートで、それでいて切ない「青春」を感じる。最後のギターにあわせて、メンバー全員が楽器を打ち鳴らす数十秒は本当に圧巻だ。

 そしてアルバムの後半はインストゥルメンタルから始まる。後半はさらに澄み渡った音が流れている。8曲目は歌詞に「狂った和音に生ずるビートよ」とある通り、性急なビートに乗せて一気に走ってゆく、潔い作品。続いて3拍子のイントロから始まる「youth パラレルなユニゾン」に移り、だんだん終わりが近づいていることを予期する。そう、ライブでもうラストが近いと感じさせるような曲。ルースターズの後期にも似た高揚感、もはやこちらがその高みについてゆくことができず、あきらめさえも感じて、ただ音に体を投げ出してしまうような高揚感。

 マイナーなメロディが何かを予兆するようなギターのフレーズから始まるラスト曲のタイトルは「アンニュイ」。ライブのアンコールにふさわしい曲だ。アルバムの中で一番短い、4分に満たない曲で、ヴォーカルが入るのはわずか最後の1分半だけ。ギターのハウリングだけが最後に残って、曲が消えてゆく。まるで、「また今度歌うからね」と予告して、ステージを立ち去るかのような短い歌詞。短い歌。

 だが、もう彼がステージに戻ってくることはない。アルバムの最初から最後までを一気に、何度も何度も、彼らのライブに立ち会っているかのように感じながら、このアルバムを聞いている。

Billy Bragg, Tooth & Nail (2013)

tooth_nail.jpg どの曲もゆっくりとしたテンポで、一音一音、一言一言を確かめながら、演奏され、歌われる。ビリー・ブラッグのこれまでの活動を知っている人ならば、少なからず驚くに違いない音の雰囲気だ。

 ビリー・ブラッグは1983年にデビュー。サッチャー首相の就任が79年、フォークランド紛争が82年である。保守化路線をひたすら進むイギリスにおいて、労働者階級のために歌うーそれがビリー・ブラッグのロックだった。

 怒りこそが表現の核であり、歌うべき内容は、社会が貧困や失業という問題をかかえればかかえるほど、無尽蔵に溢れ出す。その抜き差しならぬ状況のなかで、ビリー・ブラッグという人物は単なるミュージシャンではなく、活動家として捉えられる側面を多分に持っていた。革命の旗振り役と言おうか。

 彼の歌は、イギリスの日常、好転する兆しはこれっぽっちもないどころか、泥水を飲まされているかのような最低の、屈辱の日々を過ごさざるをえない人々に寄り添っている。揺るぎない信念と意思ゆえのかたくななまでの歌い方。それがビリー・ブラッグのイメージだった。何枚ものレコードを聞いてよいなあと思った。それでも、そこで歌われる世界が、イギリスの薄暗い日常に根ざしていることが、頭ではわかっていても、心は少しばかり常に遠いところにあって入れこめなかった。

 こうして久しくビリー・ブラッグを聞かなくなっていたが、数年前にビリー・ブラッグがウィルコとウディ・ガスリーのカバー(というか、彼の遺した歌詞にメロディをつけて歌う)を出していることを知り、久しぶりにアルバムを買った。

 そして今回の新譜である。イギリス人であるビリー・ブラッグが、アメリカ人の、それもルーツロックの再評価の立役者であるジョー・ヘンリーをプロデュースに迎え、彼のスタジオでわずか5日間で完成させたとのことである。

 もはや怒りにまかせた歌はない。激しく打ち鳴らすリズムもない。朴訥と歌う50も半ばを過ぎたビリー・ブラッグの声は、しゃがれて、味わい深い。ただ、このアルバムが心に響くのは音の手作り感だけではない。その手作りの暖かさを通じて、ビリー・ブラッグが人間の生そのものに寄り添って歌っていると感じるからだ。

 確かに30年過ぎても何も変節はない。ただ、イギリスの下層階級の人々の生活の苦しみや喘ぎを代弁することから、このアルバムでは、私たちが等しく経験する、愛、他者への思いやり(Do Unto Others)、明日への希望(Tomorrow's Going To Be A Better Day)、別れ、そして死が素直に歌われているのだ。私たちの生を織りなすいくつものテーマがシンプルなことばで、衒いもなく、悟りを得たかのように歌われる。根底は変わらなくとも、生活から生への広がりが、より彼の歌の世界を普遍的なものとして伝えてくれるのだ。

Goodbye to all my friends, the time has come for me to go
Goodbye to all the souls who sailed with me so long
 
友人たちよさようなら そろそろ去るときがきた
ぼくと一緒にこんなに長い航海に出てくれた人たちよ さようなら

 そう歌いだされるGoodbye, Goodbyeは友人たちに別れをつげる歌だ。「コーヒーポットも冷たくなった ジョークもみんな言い尽くした 最後の石は転がっていった」。人生の長い海路も終わりに近づき、私は友人にグッドバイと言う。

 悲しくて優しい歌だ。ゆっくりとしたテンポで、ぬくもりのある弦楽器がかなでるメロディの中、少しだけ苦みのある声でGoodbyeという声が空に響く。落ち着いたベースの音、深みのあるパーカッション、どこまでも繊細なアコースティックギターの音。

 人を優しく包みこんでくれるような音の空間作りが素晴らしい。たとえば2曲目。弦楽器の音が幾重にも重なり、ドラムがゆっくりとリズムを聞かせた後に、歌が始まる。こうした丁寧な音の響きがこのアルバムの特色でもある。

 とはいえ、ビリー・ブラッグの意思は決してひよってはいない。アルバムタイトル『歯と爪』は、歯と爪だけになっても戦い続けるという意味らしい。いかにもビリー・ブラッグだ。そういえばウッディ・ガスリー作詞の曲も一曲収められている。I Ain't Got No Home, 金持ちに家を取られ、妻は死に、自分は町をさまようしかない。哀歌としての民衆の歌を引き継いでゆく、ビリー・ブラッグのかたくなな意思がこの一曲に込められている。

Tété, Nu Là-bas (2013)

nu_la_bas.jpg テテのファーストアルバムL'air de rienに収められたAiséは、彼が初めてフランス語の歌詞で作った曲である。そのなかにこんな一節がある。

Comment veux-tu que l'on aime
Quand on ne sais même
Pas comment se prendre soi-même ?
Moi, je ne suis qu'un trouillard.
 
人はどんなふうに愛せるっていうのさ
自分自身が誰なのかさえ
わかっていないというのに
ぼくは、ぼくは単なる臆病者。

 臆病者だからこそ、自分を隠す。人から身を隠す。テテの出発点はここにあったと思う。歌を歌うことは、決して自分をさらけ出すことではない。このファーストでこそ、アコースティック主体で、自分を歌っている曲もあるが、セカンド以降では、アルバムごとに異なった意匠が施されることになる。セカンドは叙情性、サードは演劇性、そして4枚目は、アメリカのルーツロック、ブルース。それぞれが音楽的にかなり綿密に作りこまれ、サウンドクリエーターとしてのテテの才能がいかんなく発揮されている。

 またセカンド以降のテーマはいずれも旅である。テテにとっての旅は自分探しではない。旅をしながら人に出会うことであり、テテは出会ってきた人について歌にしてきた。と同時に自分については歌うことはなかった。歌詞は韻や言葉遊びに溢れ、語りではなく、詩であった。

 しかし、この新作は違う。もちろん様々な音が作り込まれているが、とてもシンプルなのだ。そして自分についてもきわめてシンプルに語っている。

Guitare au poing
J'appris alors des bars du coin
La corne aux doigts pas à l'égo
L'art de l'esquive et du chapeau
 
ギターを握って
ぼくは覚えた、街角のバーから
指には固いタコ でも心は固くなく
身をかわしたり、帽子にお金を入れてもらうこと

 こうしてテテは自分の過去を「歴史」の一コマとして振り返る。自らを隠すことなく、またさらけ出すのではなく、あくまで登場人物として、落ち着いた目で過去の自分を眺めながら。この大人の視点は、自分の母、父、祖父母、さらにはアメリカの黒人たちへと注がれる。

 そして曲はどこまでも明るい。その明るさは、今まで隠れていた暗い場所から、日ざしの注ぐ明るい場所へ出てきたようだ。

 特に好きな曲はヒューストンだ。ここでは遠い、今は消息もわからなくなってしまった友人が歌われる。

Houston
On t'a perdu
Ici l'Essone
C'est moi Tutu
(...)
Entends l'ami d'antan
Moi seul scellerai ton salut...
Moi seul scellerai ton salut...
 
ヒューストン
みんな君のことを見失ってしまった
ここはエソンヌ
ぼくだよ、チュチュだよ
(...)
聞いてくれ いにしえの友よ
ぼくだけが、君の救いの印となるだろう
ぼくだけが、君の救いの印となるだろう

 過去は決して流れさってはいない。もう会わなくても、会えなくても、でもあのときの友だちは、ずっと友だちで、だからどんな境遇になっていたとしても、救えるのは僕なのだ。そんなテテ本人の優しさに満ちあふれたヒューストンが好きだ。