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the_great_puzzle.jpg マシュー・スィートを教えてくれた大学時代の先輩が、「これもきっと気に入るはず」と教えてくれたのが、ジュールズ・シアー。しかも「アンプラグドのCD付きが限定盤で出ているから急げ」とも。このアルバムが出たのが92年。ということは27歳のときに、まだこんな青臭い音楽を必死に追いかけていたことになる(それからさらに20年経った今でも結局追いかけ続けているのだが)。

 鼻がつまった、特に高音で息ができず、苦しそうに絞り上げるような歌い方が好きだ。そんな声を美しいと感じられるのだから、ロックは楽しい。そしてメロディがこよなく甘い。70年代からコンスタントに活動し、美しい旋律の曲を多くかいてきているのに、どうもアレンジで失敗していたように思う。装飾過剰な色の濃いアレンジが原曲のあわい妙味をかき消してしまっているのだ。

 しかしこのアルバムはセールス的には怪しいが、ジュールズ起死回生の名盤である。楽器それぞれの生音を大事にしつつも、メリハリの効いたタイトな音で仕上げられている。メロウさと骨太さがうまく調和した傑作だ。

 1曲目はハードなエレキギターのリフから始まりながら、ジョニー・マーのような繊細なアコースティックギターにのって軽やかに雰囲気が転調する。サビのメロディも本当に甘酸っぱい、アルバム全体を見事に予告するナンバー。2曲目は明るめなメロディに、少しささやくような歌い方がとてもよく調和した落ち着いた曲。
 
 アレンジさえはまれば曲のクオリティの高さが前面に出る。6曲目のMake Believeなど少しマイナーな音調から始まり、サビの部分で一気にせつなさが押し寄せるジュールズの真骨頂と言える展開。また9曲目のように、ハーモニーをうまく効かせたしゃれた小曲もある。

 そしてラストはアコギ1本の弾き語り。実はこの弾き語りこそ、ジュールズ・シアーの曲の良さを十分に引き出してくれると言える。おまけにつけられたCDには弾き語りで歌われた曲が8曲収められている。その8曲はジュールズ・シアーのキャリアを辿るように選ばれている。

1. Following Every Finger
- Jules & Polar Bearsのファーストから
2. Alle Through The Night   
- トッド・ラングレンがプロデュースしたWatchdogに収められ、シンディ・ローパーが取り上げた曲。なおトッドは例によってオーバープロデュースでわざと売れなくさせているのではないかとかんぐりたくなる。
3. Whispering Your Name    
- 同じくWatchdogから。
4. If She Knew What She Wants
- バングルスのバージョンでおなじみ。本人のテイクはEternal Returnに収録
5. If We Never Meet Again
- 彼が新たに組んだバンドReckless Sleepersのアルバムに収録。トミー・コーンウェル、ロジャー・マッギンがカバー。
6. Jewel In A Cobweb
- グレート・パズル収録
7. The Sad Sound Of The Wind
- グレート・パズル収録
8. Never Again Or Forever
- リック・ダンコとの共作。イェイ!

 と成功(大成功はないが)も、失敗も、もろもろ含めて、ジュールズ・シアーのこれまでの多岐に渡る活動とコンスタントに良い曲をかいていたことを証明する選曲である。

 95年ジュールズ・シアーの来日コンサートは全曲弾き語りであった。しかもあの独特の弾き方は他にみたことがない。左利きの彼は、右手で弦を押さえるのだが、なんと親指だけで上から押さえて、その親指と、弦を弾く左手を器用に動かしながら音階を調節しているのだ。そう、単に美しいだけではなく、なんとなく不思議なのが、ジュールズ・シアーの魅力だ。

 その後もコンスタントにアルバムを出すものの、どれもそれほど当たったわけではない(そういえばMTVの司会もやっていたな...)。数年前に出したアルバムは買っていないが、どうやらまたまたプロデューサーの選択に失敗したらしい。どこまでいっても小さな失敗がやむことのない愛すべきミュージシャンである(そういえば昔バウスシアターで『まだ天国じゃないの?』という映画を観たが、その主人公のような平凡な失敗の人生が重なる)。

Matthew Sweet, Girlfriend (1992)

girlfriend.jpg ギターを弾くのが大好きな青年が、その自己満足的な音楽生活を捨てて精一杯攻撃的なレコードを作った。それが思いもせず90年代のアメリカを代表とするアルバムとなった。

 Matthew Sweetはカリスマ的なロッカーでも、超絶なテクニックをもつミュージシャンでもない。それでもキャッチーなメロディがかける大学生、ただプロとしてもそこそこは売っていけるミュージシャンとして、Girlfriendの前に2枚のアルバムを出している。2ndのジャケットをみれば分かるように、内省的な青年が自宅録音をしたような、ナイーブなアルバムである。

 ところがGirlfriendとの別離を契機にして、どん底の生活から、なんとか音楽を作ってみるという、これまたナイーブな場所から届けられたこのアルバムは、ギターの音も生々しく、すべてをぎりぎりまでそぎおとした、きわめてストイックな作品として完成をみる。どんな加工もせず、そのまま感情を投げ出し、その感情をギターのひずんだ音色に反映させた時、Matthew Sweetは、他の誰にもまねのしようがない、ストレートな世界を作り上げることに成功する。ふだんは恥ずかしくて絶対に言えないようなこと、たとえば I'm alone in the worldのような歌詞を平気で歌う。しかも叙情的なギターのフレーズつきで。しかしそのいさぎよさ、時代の音など何も意識しない、虚飾のない音楽こそが、聞く者も、おそらく味わったことのあるつらい体験をやさしく包み込んでくれるのだ。

 川崎チッタで、Matthew Sweetが姿を現した時、会場がどよめいた。その理由は、アルバムの裏ジャケットの写真とは似ても似つかない、普通のアメリカ人並みに太ったおにいちゃんがステージに現れたからだ。本人はその観客の反応の意味はつかみかねていただろう。せつないほど、センシティブで神経質な青年を予期していた客の前には、ぜい肉のだらしなさがTシャツから透けて見えるアメリカ人が、脳天気にギターをひきまくっているのだ。

 その後、Matthew SweetはGirlfriend以上のアルバムは作れていない。というか作りようがないだろう。この密度ある時間はもう決して戻ってこない。それは青春時代に誰にも訪れる一瞬だけの才能だったのだ。だがその一瞬が、このアルバムに結晶として収められている。