天童荒太

天童荒太『悼む人』(2008)

 最近の役所は、市民へのサービスということが徹底されているのか、フロアに立っただけで、誘導係が「ご用件は」と御丁寧にそばまでやってくる。ある老婦人が書類を見せながら訊ねていた。「これが婚姻届で、これが死亡通知書で・・・」。おそらくご主人を亡くされ、種々の手続きのため、証書の写しを取りにやってきたのだろう。しかし化粧もみなりもきちんとしたその女性からは、ふと耳にはいってきたことばを聞かないかぎり、夫の亡くした方だとはわからなかった。似た場面がこの小説にもある。主人公の祖父が亡くなった海辺に、家族がたちつくす。しかしまわりの海水浴客は、「誰も目の前で二日前、自分たちが大切に想っていた人が死んだことを知らない様子だった」(p.326.)
 自分にとって見ず知らずの老婦人だから、当たり前といえば当たり前だろう。しかし自分の暮らしている周りには、実はこうして死が偏在している。私たちは外見だけを、さらにその外見にさえ関心をいだくことなく、人々と交差しながら生きている。しかし日常とは、たまたま今日、一瞬すれちがったその老婦人には死が訪れ、私には訪れなかっただけのことなのだ。だから、「家族そろって食事のできる状況を奇蹟とつぶやいた」主人公の反応は、じつはきわめて正気なものではないだろうか。そして、私たちは日常の惰性のなかで、この死を忘却している。
 その意味で、「死の忘却」とは、「自分の死の有限性」を忘れている生き方ではなく、「まわりに満ちあふれている死の事実」を忘れていることだと言った方が、より私たちの日常に接して死を考えることにならないだろうか。こうした死のあり方こそ生(なま)の事実ではないだろうか。
 死の偏在。主人公の4人の祖父母の死が綿密に描かれている。また、出会うことのなかった、2人の叔父の死も、たとえ生の時間が重なることはなかったとしても、主人公の死の認識に、父母を通して、流れ込んでいる。それは「自分の命が渡る」(p.162.)という表現にみることができるだろう。「私」よりも前に生まれ、そして「死のすべて」(p.172.)、それは近親者をこえて、死んだ者たち、会うことのなかった今では死んでしまった者たちも含めて「命の時間」、「命のつながり」が、私に流れ込んでいるのだ。
 会うことのなかった死者は、それだけで、実際におなじ時間を過ごしたことのある死者よりも、遠い存在となる。自分のなかにその人の生の体験が刻みこまれなかった人は、その分、自分にとって、無名の死者に近くなる。
 ならばその無名の死者へと陥らず、その人が生きた確証をどのように掬い出し、記憶にとどめればよいのか。「ぼくは、亡くなった人を、ほかの人とは代えられない唯一の存在として覚えておきたい」(p.114.)、「自分が生きているかぎり覚えて」おきたいという主人公は、問いかける。「(その人は)どういった方に愛されていたでしょう。どんな方を愛したでしょう。どんな人に感謝されたことがあったでしょうか」。それを知れば、たとえ日々ノートを開きその死者を想い起こす作業をしなくてはならないとはいえ、死者が個別の取りかえの聞かない存在として記憶にとどまられ、忘却の淵に沈むことが妨げられると言う。死者として不在となった存在であっても、他者との関係性のなかで、その関係性がどれほどはかないものであったとしても、ある一瞬に、他者と愛によって結ばれたことがあるならば、その人は無名性に落ちてはゆかない。存在の確証が他者の存在によって織り上げられることが、「悼む」ことの意味になっている。
 私たちはどれほどの死者を、その固有性のもとに覚えていることができるだろうか。近親者であっても、やがてその記憶は薄れてゆく。たとえ記憶に残っていても、私の後に生まれ、私の死後も生き残る者たちに、その記憶を語らなければ、やがてはその死者は本当に消えてゆく。
 その意味で、「代弁者」である母のことばは重い。「或る人物の行動をあれこれ評価するより・・・その人との出会いで、わたしは何を得たか、何が残ったのか、ということが大切だろうと思うのです」。他者への無関心とは、本当は、私の心に残されたであろう他者の痕跡に無自覚であるということなのだろう。死者をその完全性(intégrité)において覚えておくことは、不可能である。それでは、生者は死者に仕えることと同じになってしまうだろう。同情で終わってしまうだろう。同情ならばできるかもしれない。自己を死者と同一化することの方が実は簡単なのだから。そうではなく、他者が残した痕跡と対話を交わすこと、他者の痕跡によって自分のなかの血が、肉が、どんな変化をしてゆくのか、そのありようを省察することが生きることになるのだ。だから主人公の生き方はあやうく、正気すれすれのところにある。死に瀕する母の方にこそ、希望が、正気の根拠がある。
 死者の痕跡を自己にといかけることには反省の時間が必要となる。死者を忘れて今あることに生きる安易さに抗し、反省の作業を行い続け、唯一の存在であったと認識できるところまで記憶にとどめることのできる表現を見出すことは難しい。死者はやがて「どうでもいい死者として扱われてしまう」(p.296.)だろう。もしかけがえのない人間として死者を想い起こし続けようとするならば、生者は自分の全生活、全存在を主人公のように「悼む人」にしなくてはならないだろう。だから私たちは喪の作業を終えてしまう。社会的な意味での「正気」をたもって再び生きるために。日常の惰性のなかで生き直すために。
 それは死者を「質」ではなく、「(数)量」でとらえることとも関係している。「誤爆で二十人死亡、テロで百人死亡って数字だけだった死者の、名前も年齢もわかってると知ってさ。本当は当たり前のことなのにな」(p.260.)。世界の戦場を歩くジャーナリストがそう呟く。広島の原爆のこと、その約八時間前に今治で空爆があり、450人がなくなったこと、そこで身内がひとり死んでいることも重なる。原爆の死者から身内のひとりの死者へ、死に軽重がないことが語られるとき、どんな死も量ではかることができないとことがわかる。ひとりに死者から原爆の死者へと思いをはせるとき、その死者ひとりひとりに名前も年齢もあったことがわかる。
 当たり前のことを当たり前と気づかず、あるいは気づこうとせず生きてゆくこと。そこまで死に意識をはらうことなく生きてゆくこと。それが社会的な意味での「正気」だ。ただしその社会とは、死が排除された、生の背後に死者の匂いを嗅ごうとはしない無臭化された社会という意味だ。そのとき死者の遺体は、「生きている者にとっては、もうただの死体」(p.296.)となる。
 他者との接触による自己の変容。あるいは自己の内面の省察。そのために、「目撃者」や「随伴者」といった、主人公との人間関係をあらわす役割が章のタイトルとなっているのだろう。自分の知っている人間にたいして、自分に何が残されたのか真摯にといかけること。その他者との関係が、やがては自らの知らぬ他者へとつながってゆくと考えたい。火をつけられ殺された女が、社会の底辺を記事にすることを生業にしている記者を通して、まったく知らない、やくざの女へとつながり、その女が決断をするように。その関係が感謝ということばで表されるとき、「感謝の言葉は、告げた当人へ何倍ものかたちで返されるに違いない」(p.331.)。
 もうひとつの変容は、命の変容だ。祖母の死と孫の誕生という時間の重なりが、「生まれ変わる準備かしら」(p.323.)と死に逝く者に思わせる程、存在そのものの命のつながりを喚起する。
 小説の最後では、<魂の耳>にとどく、息子の声と体感と孫の泣き声が、死に逝く生者である祖母によって語られる。Paul Ricoeurのvivant jusqu'a la mortという表現がこれほど見事に表された例はないだろう。だから私たちは看取るのだ、死者ではなく、死の瞬間まで生きる生者を。

 この小説で扱われる死者たちはニュースで知りうる死者たちである。しかし、主人公がある時に出会った老人は次のように言う。「うちの女房のことも、せっかくだから悼んでもらえるかな」。平板な死も特別な人の死だ。次は日常の死をどのようなことばに表せるだろうか。そのことばに出会いたいと思う。