カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』(1982, 1994)

 主人公の悦子は、戦後間もない長崎で、ある男性と結婚し、娘をもうける。その後の経緯は語られていないが、イギリス人男性と知り合い、ともにイギリスに渡り、その地で半生を過ごす。物語は、イギリスに連れて行った娘景子が一人で暮らしていたマンチェスターで自殺をし、それからしばらく経った時点から始まる。

 娘の自殺を契機に、悦子が長崎で出会った佐知子という女とのつきあいを中心に、自分の過去を書き記すという体裁をとっている。そして時折物語は、現在、すなわち母親を心配した娘ニキがロンドンから訪ねてきて家で過ごす今へと戻ってくる。

 当時、悦子は二郎という、戦争の混乱時にお世話になった緒方家の息子と結婚し、妊娠3,4ヶ月であった。佐知子は一人娘の万里子と突然近所にやってきて、川岸の家に住んでいた。

 この頃の悦子は、「戦争の悲劇や悪夢を経験した人たち」が、「夫や子供のことに追われ」日常を慌ただしく過ごしている姿に違和感を抱いている(p.13.)。おそらく彼女自身は、作品中では言明されないが、長崎の原爆で家族を失い、現在の夫の親によくしてもらったのであろう。そしてその家の息子と結婚し、もう時期子どもが生まれる。

 普通に考えれば、戦争の悲惨さから立ち直り、幸福を手に入れようと新しい生活を始めていると言えるだろう。しかし、彼女が周囲に抱く違和感は、戦争の喪の状態を実はひきづったままで、決して戦争中の体験から立ち直ったわけではないことを示していよう。

 その状態を考えれば、小説の中で義父が語る、悦子の家族を亡くしてからの二つのエピソード ー 緒方家に来るようになって、真夜中にヴァイオリンを弾いて家中を起こしたこと(p.79.)、結婚するにあたって家の門のところにつつじを植えてくれと、しかも命令口調で言ったこと(p.192.) ー の常軌を逸したふるまいと、そのことを数年しか経っていないのに本人がまったく記憶していないことの背景がわかってくる。

 作品は、上に述べたように佐知子との会話の回想が大半を占めるのだが、悦子と佐知子の間には共通点と相違点がある。佐知子は万里子を連れて、アメリカ人と再婚し、アメリカへ渡ろうとしている。悦子はその後生まれた景子を連れて、イギリス人と再婚してイギリスへ渡る。佐知子は伯父のところに同居していたことがあり、悦子はのちの義父となる家に身を寄せていた。それ以外にも、たとえばお茶を始終飲むことなど細かいディテールが似せて書かれているのだ。

 だから私たちは作品を読みながら、悦子が佐知子との経緯を語るのは、悦子ものちに佐知子と似た境遇を過ごしたからだろうと思いがちになる。だが、万里子の猫や蜘蛛への振る舞いに対する悦子の言動、特に悦子の万里子に対する強い口調など、ひとつひとつは会話の流れに沿っているように見えて、実は、二人の関係が他人以上に踏み込んだ関係であることにじょじょに気づいていくのだ。

 その違和感は、第10章で、悦子が万里子にアメリカ行きを強い口調で諭すとき、そしてそれに続いて、万里子が、悦子に「なぜ、そんなものをもっているの?」と問いただすセリフが、第6章の「それなあに?」のセリフと重なるところまで読むと、実は佐知子とは悦子自身が作り上げた虚像であり、万里子は自分の娘景子に他ならないことを強く喚起させられるのだ。

 おそらく悦子は、いやがる景子を無理やりイギリスに連れていったに違いない。それまでも悦子は景子に虐待まがいのことをしていたに違いない。そして万里子を探しに行って彼女を見つけた時に持っていた縄は景子が自殺に使った縄と結びついていく。佐知子がとても英語を流暢に話している場面は、実は悦子がイギリスで英語ができなかったコンプレックスの裏返しであろう。それ以外にも悦子が見せる猫への殺意は、彼女が生と死の正常な意識を失っていることを想像させる。

 こうして、過去語りが実は虚実が織り合わされた自分自身の物語であると気づくとき、この語りは、戦争によって全てを失い、戦後子どもへの愛憎を抱きながらも、二人が生きていくためにイギリス行きを決意した女性が、娘の自殺後、自分の人生を創作的に意味付けるための唯一の表現だったこともわかってくるのである。そしてその物語は自己を正当化するような単純なものではなく、上記に述べたような自己像の反映としての虚像を作らないでは語れない性質のものだったのである。

 内面に狂気をはらみながらもそれでも生きなければならなかった戦後の女性、最終的に娘の自殺という結末を迎えながらも、なおその生の意味があるとしたならば、それは現実と幻想の折り重なった自己の作られた歴史に支えられるしかなかったのだろう。そして万里子がみた幻影は、実は憎しみを内面にたたえた母親の現実の姿だったのである。