François Bizot, Le silence du bourreau (2011)

 フランスの民族学者であったフランソワ・ビゾは、1971年カンボジア仏教の調査中にクメール・ルージュによって捕らえられる。CIAのスパイの容疑をかけられるが、3ヶ月後に無実であるとして奇跡的に釈放される。捕らえられていた3ヶ月の間に、ビゾと収容所の長であったクメール・ルージュの革命兵士との間に、拷問者と被害者という関係を越えて、人間としての関係が生まれてくる。
 ただしそれだけであったなら、ビゾの一研究者としてそのまま人生を送ったことだろう。しかしその後、彼の個人的な人生が、大きな歴史の流れに投げ込まれ、彼はそのなかで人間とは果たしていかなる存在なのか自問を重ねざるをえない状況へと追い込まれてゆく。
 そのきっかけとなったのは1988年、カンボジアのクメール・ルージュの残虐さを伝えるために作られた資料館で目にした1枚の写真である。それはかつて自分を釈放した革命兵士の写真であり、その兵士こそ、その後40000人もの虐殺に関わったドゥイチである。さらに1999年そのドゥイチが逮捕される。しかも彼は当時キリスト教に改宗しており、難民の保護を行うNGOの団体で働いていた。これを機にビゾは、71年の経験を書き記し、Le portailという題名で本を出版する(日本でも『カンボジア 運命の門』として翻訳が出ている)。
 さらに2003年にはビゾはドゥイチと再会を果たし、2009年には人道に反する罪の対象となったドゥイチの法廷で証人として立つ。2011年に出た本書は、これまでの経緯を振り返るとともに、ドゥイチから届いたLe portailの感想、そして法廷での証言を採録したものである。この法的な場でされたビゾのことばは、きわめて明晰である。
 ドゥイチとの関係を通してビゾが至った実存的考察とは次のとおりである。

Le pire serait certainement de faire de ces montres des gens à part.(p. 192.)
 
確実に最悪なのは、こうした怪物たちを、別の人間とみなすことであろう。

 ここでいうmontresとは大量虐殺を行ったbourreau(死刑執行者)たちである。ビゾの省察とは、悪に染まった人間とは、私たちとは性質を異にする人間であり、そうした人間たちは生まれたときから悪人として生まれるのだという考え方を決定的に捨てることである。ビゾの前にいる人間は、「マルクス主義者であり、国のために命を捧げようとする共産主義者」であり、彼が目指していたのは「カンボジアの人々の幸福であり、不正義への戦い」であると確信するのである。
 しかしこの確信は決して格言のように理解されるものではない。本文はこの法廷でのことばのようにわかりやすく書かれてはいない。ビゾは、この確信に至ると同時に、この実存的問いを自らのこれまでの人生そのものへ投げかける。
 第1章は1963年から始まる。この年、父親を亡くしたビゾは、母親一人では育てきれなくなったペットの子ギツネを駅の通路の片隅で殺して棄てる。おそらくは首を絞めて...本書はこうした過去の出来事の想起とそれに対する現在からの考察の往来によって編まれている。たとえば動物も生きる条件として、「恐れ、乱暴さ、住む場所を求めることは」(p.14.)人間と同じではないかと。
 さらに記憶は戦争中へと遡る。おそらくドイツ占領下であろう。子供であったビゾはあるとき駐留していたドイツ兵にあかんべえをする。それを見た母親は恐怖でビゾ少年のほおをビンタした。そのときにドイツ兵は次のように言った。「なぜあなたは息子さんをたたくのですか?私があなたの立場だったら、むしろ誇りに思うことでしょう」(p.18.)。ビゾはこの体験に省察の出発点を認める。どれほど心持ちの優しい人間であっても、犯罪的な行為に巻き込まれてゆくのであると。さらには奴隷の問題、食肉のための動物を殺すことの問題へと、先の確信に至るまでの、自身の人生を回想してゆく。
 第2章は71年に捕らえられた時の経緯を語るともに、現在からの考察が述べられる。ドゥイチとはどういう人物なのか。ビゾは当時交わした議論、会話からその人物を復元する。彼の革命家としての議論は、フランスの共産主義者たちの大差ないものであり、現実には「全世界的な社会的大惨事が起きるのだという観念が彼の精神を支配し、現実にある貧困の問題よりもこちらの観念が彼を脅かしていた」(p.51.)。そして捕虜の虐待とは、この「偉大な革命的企図のための現実的行動に過ぎない」とも。だが、ここでビゾは後のドゥイチの証言を挿入する。

最初に殴ったときには、あまりにもその行為をするのに覚悟が要ったので、思わず吐き気がして殴るのをやめなくてはならなかった。

 こうしたドゥイチの状況、思想、内面をも推し量りながら、このテキストは構成されているが、それはビゾ自身に関しても同様のことが言える。それを表す最も象徴的な例が脱走を考えた場面である(pp.58-59)。ビゾは想像する。「自分が武器を持って脱走し、もし途中で誰かに見つかれば、その人間を殺そうとしたのではないだろうか。たとえそれが子どもであっても」。
 こうして、ビゾは自らとドゥイチを重ね合わせる。たとえば恐れ。ビゾは動物を殺したことで、他人が自分のことをそうしたことが出来る人間なのだと考えることを恐れる。ドゥイチは虐待をすることで、いつか自分のことを心のない人間だと思ってしまうことを恐れる。ビゾの実存的な省察は常にこうした具体的な状況から出発しているのだ。

[...] comprendre la façon dont ce mal qui nous arrive vient en nous, par nous, de nous... Seul cet aspect de l'Individu, de notre prochain, peut nous ouvrir nos yeux sur la souffrance du monde. (p.130.)

 我々のもとに届けられる悪は、私たちの中に、私たちによって、私たちの中からやってくる。個人への、私たちの隣人へのこの見方だけが、私たちの目を世界の苦しみへと開かせる。