George Harrison, All Things Must Pass (1970)

all_things_must_pass.jpg 昔プログレ好きな先輩が、「プログレロック系統図」を得意そうに書いていた。メンバーチェンジなどで、あるメンバーがどこのバンドに移ったか、新加入したメンバーは前はどこのバンドにいたのか、そんな系統をおってゆくとひとつの一大ロックファミリーが出来上がるというわけである。

 ジョージ・ハリスンのレコーディングに参加した仲間、セッションをした仲間などをそうした系統図にしたら、かなり広大が地図ができあがるだろう。だが、プログレロックは仲間内の密度を明らかにするだけであるが、ジョージのそれは、ロックという音楽の可能性の広さをみせてくれるものだ。それはジョージという一人物をこえて、ロックという音楽そのものがもつ可能性をみせてくれる。それはまた、ロックがコミュニティとして動きうるという70年代前半の歴史の証しでもある。

 このアルバムを聞いて、ビートルズの痕跡を聞きとろうとしてもほとんど無駄だということは一聴してわかるだろう。もちろんジョージのソロ曲との類似は認められるとしても、それ以上にここで聞かれるのは、当時の様々な音楽の響きだ。まずは分厚い音作りのフィル・スペクターによるサウンド構築。たしかに大げさかもしれないが、音の厚みはひ弱なジョージの曲にひとつの芯を通すような役割を果たしている。そしてライナーによれば、クラプトン、ビリー・プレストン、ディラン、デラニー&ボニーといった名前がつらなる。ブリティッシュ・ロックも、アメリカの南部音楽も、ジョージを介在してひとつにつながっているのだ。たしかにジョージはそうしたミュージシャンを束ねる「中心」ではない。しかしジョージも一緒になってそれらのミュージシャンとひとつの「星座」を描いているのだ。そのうちの一人でも欠けてしまえば、もはや星座にはならない。そんな布置をつくりえた類いまれな性格の人物がジョージだったのだと思う。(ところでポール・サイモンと二人の弾き語りビデオを見たことがあるけれど、あれは何だったのだろう。)

 しかしこのアルバムの旧A面の曲のながれはどうだろう。ゆったりとした曲調にも、リード・ギターの骨太さが随所に現れて、さあこれからアルバムが始まるという気にさせられる。Let me〜というフレーズが繰り返されるが、「〜させておくれ」という歌詞は本当にジョージのヴォーカルに似合う。そしてMy sweet Lordだけど、この曲もギターの音色にここちよい気分になっていると、とつぜんジャカ、ジャカとドラムがやってきてびっくり。でも、このアルバムのなかで聞くと、代表曲というより、つなぎの一曲という感じがする。なにせ、つぎのWah-Wahはまさに音圧の世界。ここまでさわがしい曲もあまり聞いたことがない。いよいよA面の佳境にさしかかった感じです。そしてIsn't It a Pity。ここで高揚感は一気に頂点へ。終わりの美しさ、儚さが、じんわりと伝わってくるんだけど。この曲もドラムがいいです。終わりが永遠に続くようなサウンドは、「針よ、上がらないでくれ」という気持ちにさせる。

 この後も、素晴らしい曲が続くけれど、もうこのA面だけでこちらの気力がもたなくなりました。