Roland Barthes, Journal de deuil (2009)

 『喪の日記』と題されたRoland Barthesの遺稿は、母の死の翌日から書き留められた日々の断章からなる。これらの断章は、330枚のカードに書かれて残されていた。Barthesの著作には頻繁に断章形式が用いられるとはいえ、この日記はそうした作品群に属するものですらなく、日記というよりも、むしろ「覚書」と言った方がよいだろう。いずれはこの断片から、喪についての作品が生まれるはずであったのだろうか。

 日々の覚書は、ときに文ですらなく、単語が並べられただけの脈絡のない時もある。それらの単語は、自らの意味を見出すことなく、ただ母の永遠の不在のまわりにただようだけだ。ことばを「言う」ことはできる。しかし「表現」することはできない。それが実は喪の証しとなる。表現できるならば、それは「文学をする」こと、母を文学として語ることになってしまう。それはBarthesにとってはこの上ない恐れである(p.33.)。そもそも言葉にすることは不毛なのだ(l'insignifiance de notre verbalisation, p.260.)。
 しかし、それでも記憶をとどめるものとしてBarthesは日記を書く。

 Barthesはdeuilをnévroseという病理の状態と峻別する。フロイト自身はdeuilとmélancolieを分け、むしろ後者を病理的な症状とみなしているわけだが、それにもかかわらずBarthesは、フロイトを念頭においたうえで、deuilという言い方はあまりにも精神分析的だと言う(p.83.)。すでに『恋愛のディスクール』において、«Cette tristesse n'est pas une mélancolie»「この悲しみは鬱ではない」という文章に出会うが、日記の中でも喪の病理性は否定される。「母が生きていたときのほうが、母を失うおそれのあまり精神症にかかっていた」。そして「むしろ喪は、それゆえに神経症ではないのだ。むしろ母の死は、そうした病理を遠くへと追いやってしまったのだ」(p.140.)と。つまり喪は精神分析の対象にはなりえない、それがフロイトへの違和感の表明となって現れているのだ。
 だが同時に喪が病でないということは、それは治癒できる対象ではないということだ。やはり『恋愛のディスクール』において、喪は「治癒」という進歩的なものではないと言われている。喪とは回復するものではないのだ(p.18.)。もし人間存在、人間の生の根拠が、可変可能性であるならば(人間は変わってゆく存在である)、喪の苦しみがやまないということは、「変わりはしない」という意味で、その人間が死んでいるというのに等しい。
 他者の死は、自己の生を無化していまう。Barthesは言う。「愛していた人が死んだあとも生き続けるとは、思っていたほどその人のことを愛していなかったということだろうか」(p.78)。喪とは死者への後悔の念でもある。もしかしたら自分が思っていたほど愛していなかったかも知れないとは、それは死者への取り返しのつかない後悔となる。

 先ほど述べたようにBarthesにとっては喪ということばは、自己の内面を「表現」することばとはならない。彼が何度も用いることばはchagrin「悲しみ」である。Chagrinと対立することばとして、やはり何度も現れるのがémotionである。
 Chagrinとémotionはどう異なるのか。Émotionとは、自らの身体における動きであり、反応である以上、身体は受け身の状態にある。またそれは刺激である以上、ある緊張を強いたあとは、鎮まってゆき、また私たちを襲うような現象であろう。しかしchagrinは鎮まりはしない。「悲しみはすり減らない」のだ(P.81.)
 
 その喪とは他者には見えないものだ。その人がどのような悲しみの淵にいるとしても、その悲しみを抑えて人は生きる。Barthesはいう「もっとヒステリックになって、沈鬱な表情を見せて、みなを追い返し、社会のなかで生きるのをやめてしまえば、私はそれほど不幸ではなかっただろう」(p.139.)それでも喪は内に秘められれば、それを示す外的な指標はない。

Au deuil intériorisé, il n'y a guère de signes. C'est l'accomplissement de l'intériorité absolue. Toutes les sociétés sages, cependant, ont prescrit et codifié l'extériorisation du deuil. Malaise de la nôtre en ce qu'elle nie le deuil.

 社会は人々にその喪を外の表現することを、一定の儀式にのっとって喪を外に表現することで、喪の作業を遂行し、そこから回復することを強いるのだ。だから社会は喪を否定する。

 ここに集められた断片は「覚書」に近い。だが、やはり覚書ではなく日記であるのは、これが日々の記録、その日のうちに書き留められたであろう記録であることだ。その集積の意味は、喪は決して終わらないということである。昨日と今日は違う一日だ。しかしそれでも今日も悲しみに浸される。日記とは終わらない喪である。