Fabre d'Olivet, Les vers dorés de Pythagore expliqués, chapitre 2 (1813)

 第二章では、その後のトラキア信仰の拡散を語る。つまり原初の統一を失い、さまざまなセクトが誕生する。ここから半神、高名な英雄などが生まれてくる。ここでFabre d'Olivetは今度は歴史という観点で2つの考え方を区別する。まずはアレゴリーの歴史であり、こちらは、道徳のみを扱う。そして個人ではなく、集まり(masse)の動きを見つめ、そうした集まりを一般的名称(un nom générique)で指し示す。したがって、こうした集まりを統率する長というものもこの歴史の言及するところではない。それにたいして実証的歴史(histoire positive)は、個人が全てである。それらの個人と出来事の日付、経過などを記すのである。

 続いてホメーロス以前の詩人、Linus, Amphion, Thamyrisがそれぞれ、月にまつわる詩、太陽にまつわる詩、Olenの普遍的教義をそれぞれ表しているとして紹介される。次にオルフェウスについて語られる。オルフェウスが現れた時期というのは、純粋なアレゴリーと、弱められたアレゴリー、知性で把握できるもの(l'intelligible)と感覚で把握するもの(le sensible)が分かれる時期である。その意味でオルフェウスは理性の能力と想像力を折り合わせることを学んだ。このオルフェウスとともに「哲学」の基礎が生まれたのである。この時期のギリシアはすでに野蛮な状態ではなく、また詩は、人間精神の幼い時期に生まれたのではない。詩は、つねに人々の中に長く生き、進んだ文明を持ち、力強い時代の輝きを持っている。

 長い間ギリシアは政治的にも宗教的にも混乱の時代に陥っていた。様々な寺院、都市が割拠し、対立する。その直前にアジアでもインドが分裂し、混乱の状況を迎えていた。地中海と紅海の交通も途絶え、インド洋に定住していた原フェニキア人とパレスチナのフェニキア人の交流も断たれた。アラビア、ペルシアも同様である。エジプトは王権が権力を広く延ばすようになり、ギリシアもその影響下にはいる。

 そのような状況の中、トラキアに生まれ、エジプトで学を積み、詩の崇高さ、知識の深さを極めたのがオルフェウスである。Fabre d'Olivetによれば、妻エウリュディケの存在もアレゴリーに過ぎない。それはすなわち、遠ざかっていく美と真のアレゴリーである。真理は知の光の中で初めて到達する、暗闇で凝視したところで、それは決して得られない。このようにFabreはアレゴリーの解釈をしている。

 オルフェウスは、神の神秘を知るために、学校を作り、そこで知を高め、真をしるためのイニシエーションの修行を行なわせた。古代においては真理はひとつの声があるだけであり、それはこのオルフェウスに帰せられることはソクラテスの証言通りである。こうした知のあり方は、その前のモーゼ、その後のピタゴラスと同じである。

 ここで先ほどの混乱の時代に話題が戻り、Fabre d'Olivetは詩の真理の分裂は、本来の啓示を得ることのできない僧侶たちが、感情の高まりをそれと同等のものと見誤ったことを原因だとする。それによって、神がその能力、そして名前によって数多く生まれることとなった。こうしてそれぞれの都市がそれぞれの神を抱くこととなる。もちろんこれらの神々をよく検討するならば、それらは最終的に普遍的な唯一存在へと還元されるだろう。しかしそれぞれの守護神を見いだしていた民衆にとって、そのような考えをすることは不可能であった。

 オルフェウスは、モーゼと同じようにエジプトの寺院で教育を受け、神の単一性についてはヘブライ人と同じ考えを持っていた。しかしこの考えを表に出すことなく、秘儀の根本に据えるとともに、詩の中で、神の属性を人格化した。モーゼの教団が厳格なものである一方、オルフェウスのそれは、輝きがあり、精神を魅惑し、想像力の発展を促すものであった。喜びや快楽の下に、オルフェウスは役立つ教え、教義の深みを隠したのである。詩、音楽、絵画、それらにおける荘厳さ、優美さが信仰者を熱狂で包み込んだのである。オルフェウスの言う真理は、モーゼよりもさらに進んだものであり、時代を先んじていた。オルフェウスは、神の単一性を教え、その存在の計り難さを述べた。またこの唯一神を三神の表象のもとに描いた。

 また弟子に芸術がもたらす感興を信者に与え、彼らの生活が簡素で純粋であることを望んだ。こうした教えは後にピタゴラスが引用するものである。

 この教えの究極の目的は、神との交流にある。輪廻の輪を断ち切り、魂を純化し、肉体を抜け出した後に、原初の状態、光と幸福に到達するよう、魂を飛翔させることにある。

 オルフェウスについて長々と論述してきた理由は、詩が余興の芸術ではなく、それが神の言葉であり、予言者の言葉であることを言うためである。オルフェウスはこの意味で、まさに詩と音楽の創造者であり、神話、道徳、哲学の父であった。オルフェウスが源流となり、ヘシオドス、ホメロスのモデルとなり、それがピタゴラスやプラトンにとっての光明となったのだ。

 オルフェウスは、自らの教義を俗なるものと、神秘的なものに分けた上で、詩の中にも神的なものと俗なるものが混じり合っていることから、一方を神学、もう一方を自然学(la physique)にわけた。オルフェウスは、神学と哲学の数多くの詩を作った。それらの作品は残っていないが、人々の記憶には留められた。(この場合の哲学とは、コスモロジー、すなわち、自然学のことか?)。同時にオルフェウスには叙情的な詩群もある。ここからギリシアのメロペーが生まれ、それが次いで、劇を生んだ。