Dinosaur Jr., GREEN MIND (1991)

green_mind.jpg 10年ぶりにだされたDinosaur Jrの再結成アルバム Beyondを聴いた直後に、Green Mindを聴き直した。Matthew SweetのGirlfriendと並んで、90年代のアメリカのロックの冒頭を飾る傑作である。新作と聴き比べて歴然としているのは、やはり若いアルバムだということだ。この疾走感はもう二度と再現できないのではないか。Green Mindは、確かにそれ以前のDinosaurのアルバムより数段ポップで聞きやすい。しかしそれは、決してメジャー向きの音楽に転向したわけではなく、バンドのメンバーの緊張が結果としてバランスのとれた曲を生んだのだと思いたい。

 特にギターの轟音と、音数の多いドラムとの絡みはこのアルバムの魅力のひとつである。たとえば3曲目の「Blowing it」から4曲目「I live for that look」へのスリリングな流れは、ドラムからギターへと音の主役が移っていくことによっている。「Blowing it」のノリを決めているのは、まさにドラム。フックの効いた間合いの取り方がこの曲のスピード感を高めている。そして曲の最後になってからの轟音のギターが、4曲目への橋渡しをしてくれる。こうしてアルバムの構成に注意してみると、Mascisの爆音ギターは、ノイズの垂れ流しどころか、ここぞという微妙なタイミングで流れてくることがよくわかる。もちろんギターとドラムのかけあいは一つの美しいユニゾンも作ってもいる。たとえば8曲目(というか、 LPのB面2曲目)の「Water」では、ギターとドラムが同じ調子でリズムを刻む。2分26秒あたりの「ダ、ダ、ダ、ダ、ダ」というドラムにあわせサビが始まる瞬間のギターのメロディ、そしてその美しいメロディにかさなる「カモン、ベイビー」という歌詞の高揚感は、このアルバムの白眉と言ってもよい。

 そして耳をすませばすぐにわかることだが、Mascisのギターの美しさは、やはりニール・ヤングゆずりである。「Thumb」のようなスローテンポの曲では、まさに泣きのギターが堪能できる。ただそれは、ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトンとは異なる泣きのギター、優秀なギターリストの音ではなく、衝動のギターリストの音なのだ。

 Dinosaur Jrの魅力はもちろんMascisのヴォーカルにある。特に彼の声が裏返った時の、情けない歌い方は、このバンドの人生に対するだめさ加減をこれでもかと伝えてくれる。そう、このだめさ加減がまた若いのだ。人生の目的をさだめてしまった大人には決してこのロックの素晴らしさはわからないだろう。そしてこんな音楽にのぼせてしまった人間は、いつまでたっても人生に責任をとるほどの成熟さには至ることができないだろう。だらしなくて、いいかげんで、無能な人間が、汚いソファーにぐったり寝そべって、ヘッドホンで大音量で聞く音楽。それがDinosaurだ。